東京オリンピックの真っ赤なブレザーの秘密に迫るコラムが掲載中

140210_ny_01いよいよソチオリンピックが開幕した。フィギュアスケートやスキージャンプなど、注目選手の多い競技は特に楽しみにしているファンも多いだろう。
オリンピックと言えば、開会式や閉会式にも注目が集まるもの。各国選手団がビシッと公式ブレザーに身を包んで歩く姿は、同じ日本国民として誇らしい。6年後には東京オリンピックも控えているから、運が良ければそれらを生で見ることができるかもしれないだろう。
ちなみにソチオリンピックの日本選手団は、水色のシャツにグレーのブレザーと爽やかな様相だが、1964年に開催された東京オリンピックでは真っ赤なブレザーが印象的だった。

トラディショナルなファッション&ライフスタイルを愛する大人のためのWEBマガジン『NEWYORKER MAGAZINE(ニューヨーカーマガジン)』では、服飾評論家の遠山周平さんによる、当時の東京オリンピックのブレザーに関するコラムを掲載中だ。

コラムによれば、そもそもブレザーの出自は2つあり、シングルブレザーはボート競技から、ダブルブレザーは英国海軍の制服から生まれたという。語源も2つあり、ひとつはケンブリッジ大学のボートクラブのシングルブレストユニフォームが鮮やかなスカーレット色であったため、上着を見た人々が「ブレィジング(なんて焼けるような赤なんだ)」と喝采したことが語源になったという説。

もうひとつは、ヴィクトリア女王の謁見を賜ることになったフリゲート艦ブレザー号の艦長が、その際に失礼があってはならないと気をきかせて、服装規定のなかった水兵たちにピーコート型の濃紺の地に白いストライプが入ったダブルブレストの上着を着用させた。軍艦の名前にちなんで、ブレザーという名前が定着したという説があるそうだ。

そして遠山さんが初めて見たブレザーというのが、中学1年生の時、東京オリンピックで日本選手団が着ていたものであり、そこに着目してコラムは続く。
東京オリンピックのブレザーは、元祖ブレィジングレッドを彷彿とさせるが、実はこのブレザーをデザインしたのは誰なのかはっきりしない。しかし、生地を供給したのは、NEWYORKERの母体である当時の大同毛織株式会社(現株式会社ダイドーリミテッド)であることははっきりしており、同社に問い合わせることでデザイナーが判明する。

当時、昭和30年代の後半と言えば、既製服製造の工業技術はまだ発展途上だった時期で、なおかつスポーツ選手の体型は競技の数と同じぐらい個性に富んでいるため、完璧なブレザー作りを目指すために、選手ひとりひとりの寸法を取って、仮縫いをしてから納品していたと言う。
そのため、作業はJ・S・C(日本スポーツウエア・クラブ)に所属する70余人のテーラーによって行われた。J・S・Cの会員資格は、なんらかのスポーツを愛好する洋服屋であること。会員名簿には、東京、名古屋、大阪の老舗テーラーから、普段は名人、巨匠、先生と呼ばれる伝説のテーラー、後に日本初のテーラーデザイナーとして世界に飛躍した若手までがずらりと並んでいたそうだ。

また、ブレザーの生地を生産した大同毛織も、日本選手団の服装はその国の文化度を示すものとして、かなりの気合を入れて製作を行った。生地のマス見本を3000種試し、通常の赤色より4倍のコストがかかる朱赤の色出しを、開会式の会場である国立競技場まで出向いて、秋空、アンツーカーの色、芝生の緑などとの見栄えを入念にチェックしたという。

華やかなオリンピックの裏側で、ブレザーひとつに多くの人の熱意が関わっていると知るのも興味深いものだ。その出来栄えは、約50年前ものブレザーであるにも関わらず、今見ても極上の質であるというのが驚きだ。詳細は本コラムで楽しんで欲しい。

NEWYORKER MAGAZINE ICON OF TRAD
「6年後の東京オリンピックを控えて1964年の東京ブレザーをおさらいする」
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