「頼むから仕事をさせてくれ」と手塚治虫が最期に描いた漫画

160323_book_01漫画の神様と呼ばれた手塚治虫。欧米の漫画とは違う日本独自の漫画という表現手法のパイオニアであり、あらゆるテーマで作品を描き、漫画を芸術、文学の域までに高め、さらに生涯において膨大な量の作品を残した偉大なる先人である。
彼は死の直前まで、病床にあっても3本の連載を続け、最後の最後まで漫画家として生き、生涯を終えた。
絶筆となったその3本の連載作品は「グリンゴ」「ルードウィヒ・B」「ネオ・ファウスト」。それぞれまったく違うテーマ、テイストで、手塚が最後までいかに創作意欲に溢れていたかがわかるものばかりだった。

今回、発売された『手塚治虫最期の作品 ネオ・ファウスト』に収録された「ネオ・ファウスト」は、ドイツの文人ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの代表作とされる長編の戯曲「ファウスト」をモチーフにしたものだが、実は手塚治虫は、3度にわたり「ファウスト」を漫画化している。

1度目は21歳のとき、1950年に描き下し作品として発行された「ファウスト」。2度目は1971年、42歳のときに描いた「百物語」。そして3度目が1988年、60歳で描いた「ネオ・ファウスト」である。つまり、偶然か、意図的か、手塚治虫は初期、中期、後期と約20年ごとに「ファウスト」を描いたことになる。
なぜ、手塚治虫は何度も「ファウスト」を描いたのか。今となっては、その真意は定かではないが、ゲーテは一生をかけて「ファウスト」を完成させたというが、手塚も漫画家人生をかけ、手塚版「ファウスト」を完成させてようとしていたのかもしれない。

「ネオ・ファウスト」の舞台は1970年代の日本。学園闘争の嵐が吹き荒れる中、生化学の権威一ノ関教授は年老いて学者の成れの果てと揶揄されるも、学者としての意欲は消えず、宇宙の真理を知りたいと願っていた。同じ頃、学園内では学生の怪死事件が起こり、街では大通りにはヘビや蛙、ネズミなどが大量発生するという怪現象が起こる。
そしてそんなある日、一ノ関教授の前に悪魔メフィストが現れ、魂と引き換えに契約を持ちかけた。命が残り少ないことを知った一ノ関教授は悪魔と契約を交わし、若返り人生をやり直す選択をするのだった――。

研究を続けることを望むも老いには勝てず、絶望の淵にあった一ノ関教授と、漫画を描き続けたいと願うも病床にあって思うように執筆できなかった手塚治虫。どちらもまだまだやり残したことがあった。波乱ながらも新たな人生を送る一ノ関教授に手塚の願望が込められていたのではないだろうか? もし、もう一度人生をやり直せたら、手塚は描ききれなかった作品をすべて描ききったことだろう。ちなみに手塚の最後の言葉は「頼むから仕事をさせてくれ」だったという。

未完となってしまったが、「ネオ・ファウスト」には、そうした手塚治虫の最期の想いが詰まっていたに違いない。そう考えて本作を読むと、また違ったものが作品から浮かび上がってくる。
三栄書房の手塚治虫セレクション『手塚治虫最期の作品 ネオ・ファウスト』は価格500円(税別)、3月18日より全国のコンビニエンスストアで発売中。

手塚治虫 最期の作品 ネオ・ファウスト
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